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日常のなかの、ふとした場面で、窮地に立たされた過去へフラッシュバックを起したら。

過去の窮地をどうやって脱してきたか。

他人を責めること
自分を責めること
近過去を振り返ること
先を読むこと

脱出成功作戦が癖として体に染みついているので、
その成功体験を繰り返して、現状を切り抜けるという癖を無意識に出しています。

萎縮して、混乱した瞬間に、早くここから脱出したくて脳内コンピュータが忙しく働き、
現状がおろそかになる、
目の前にいる人と会話していない、
見るべきところを見ていない、
という状況が起こっているのだと思います。

現状がおそろかになる、現状に留まれないとは、
自分の感情を見ようとしていない、人も見ようとしていない状態です。


萎縮、混乱、は窮地から脱出するために引き起こしていて、
混乱が解決した時、
ほ~~~~~
成功
終わりよければすべてよし
喉元過ぎれば熱さを忘れる

過去を忘れていくことを繰り返しているのだと思います。

まず、自分が混乱していることを知る、
それには、混乱していない状態でいることで、違いを知ること
混乱しないでいられる状況、
探せば意外とあるんじゃないかと思います。


ちえ

【2014/09/03 13:59】 | セッション振り返り
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セッションを受けていると、誰しも過去の記憶が甦る。

記憶は一人で探すということはできないこともないけど
辛い思い出ほど一人で見つけることは難しいような気がする。
誰かと一緒に探してもらうことで記憶が広がったり
傍で一緒に居てくれるだけで心強かったり、安心する。
明暗、どちらにしても記憶と感情と言葉が一致できるのは
安心感から記憶が湧いて出てくる。。。
一緒に居てくれる誰かに聞いてもらい、一緒に情景を見る
そこで、はじめて記憶が生き還ってくるのではないかと感じます。


配列に裏と表があるように、記憶にも明と暗があって

明は暖かい記憶、楽しんだ記憶、嬉しかった記憶
暗は寂しい記憶、悲しかった記憶、辛かった記憶・・・

記憶を思い出せたり、見つけるには
本人の気持ちの状態や時期的なタイミングがあるのだと思う。

私の場合、暗の記憶を思い出すと反対側の明の記憶を
思い出すことが多くて、暗の記憶を思い出すことで
感情がついてくる(情景が浮かぶ)と
悲しかったこと、辛かったことを、寂しかったことを”認める”
事となるので、かなりのダメージを伴い
心が突き刺ささるように痛くキツい、、、

その痛さやキツさと比例するくらいの温かい記憶や
楽しかった記憶を感じることでと暗のバランスを自然に
心が反応するのではないか思う。

そして暗の記憶をできるだけ多くの人に
話すことで(始めは痛みを感じると思うけど^^;)
自分自身で整理していきながら、聞いてもらうことで
少しづつ消化することができ 反面に見つけた明の記憶も話して
聞いてもらうことで緩和し、満たされ、感情を取り戻すという
流れになるのかと感じます。

すると、いつの間にか明の記憶は暗の記憶を勝り
自分自身が一つ乗り越えた実感が湧くのではないでしょうか。

あなここのセッションは記憶を誰かと共有し
記憶と感情と言葉が一致することで
記憶が息を吹き返し、小さくも大きくも
記憶を辿る繰り返しが回復に繋がるのかと思います。




【2014/08/21 17:15】 | 未分類
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こんにちは ^_^
インターン生のzukamamaです

あなここで、食はとても重要視されています
表情でうそはつけても、美味しいものを食べた時のくちもとや
食べるしぐさ、そういったことで、うそはつけないという話があります

そして、その反対に、
ACの方の特徴として、味がよくわからないという傾向が多いようです

残さず食べなさいとか、お醤油かけすぎよ テレビ見ない 
などといった指摘をずーっとされ続けて食事をとっていたり、

家族が食卓を囲んで楽しい会話のやりとりをしたり、
美味しいね~ ちょっと、これまずいんじゃない?などといった、
自由な発言がしづらい状態だと、食べる事より
いかに場の雰囲気(おかあさんの機嫌)を壊さずに
やりすごすかのほうが優先にりなり
味わうなどという事から、とおーくかけ離れた状態になり
味覚が順当にそだっていない場合があるようです

これが、しつけだという場合もありますが、
しつける内容が、おかあさんの機嫌で大きく左右され
こちらがつねに、顔色をみることに意識が集中していて、
自分が美味しいと感じる感覚はすっかりとおのき、
味覚の方に意識がいかなくなってわからなくなるようです

セッションで、まず、味の軸をつくろうという話から、
きんたろうさんがつくっているカレーを
自分でつくってみようというミッションがありました

料理の方法を言葉で伝えただけで、
どれだけ受け取れているか?ということも参考にできる試みでした

先ず、一度つくったのですが、
玉ねぎをたっぷり使うカレーなのに、
甘口のカレールーを入れたためにあまったるく、
牛すじ肉のプルプルが家族には不評で、
自分でもまったくできたきがせず、写メすらとりませんでした

次に、肉は鳥肉、
ルーはジャワカレーのスパイシーブレンドと
二段熟カレーの甘口をつかいました

カレー1

ここで、鳥肉を使ったらもっと黄色いカレーになるのでは?
とのことから、同じものがつくれるかどうかためしてみました
それがこれです

カレー3

おんなじ材料で、おんなじ時間をかけてつくったのにもかかわらず、
ルーの具が前回とかなり違う感じになりました ^_^;

そこで、カレーの味を味わってみる、見た目を観察する事を目的に、
ロイヤルホストのジャワカレーを食べに行きました

ロイホカレー

食べてみて、辛い・・・
前回、前々回のカレーもホントは辛かったんですが、
これが良いんだろうと思っていたので、
美味しい事にしていました(^_^;)

でも、やっぱり辛い
それに、私はルーをたっぷりかけて食べるのが好きだ
ということもわかりました
辛いとたくさんルーが食べられないんです

次に、ルーはジャワカレーの中からと
二段熟カレーの甘口にして、
お肉も牛肉を使ってつくってみました

カレー2

ええ、美味しかったです
レシピを聞いて、同じ時間帯で煮込んだにもかかわらず、
この3パターンの違い
お肉を勝手に変えてみたり、
実を言うと、1番目と2番目の火加減が違っていました

2番目だけ、弱火と中火の間で煮込んでいたので、
汁けが途中でなくなり、何度かお水を足しています

同じカレーを作るのに、
どれだけ安定してつくれないかということがよくわかりました (-_-;)

こうやって、味の基準をさだめることで、
次に食べた味と比べることができます

今までは自分に味の基準がないことで、
他の味と比べる事もできていませんでした

このカレー美味しいねといわれても、
自分にとってどんなカレーが美味しいのかも決まっていなかったので、
そうねなどと適当にあわせることしかできなかったんです

今回つくったカレーを基準に、次に食べたカレーに対して、
甘いな~とか辛いな~とか、うすいな~などと感じたり
自分の好きな味というものを見つけたりする軸づくりになりました

【2014/08/21 09:39】 |
|
みなさま 残暑 お見舞い 申し上げます。。。
インターンズ アイです^^

最近、カレーの第二次ブームが再来しているようですね~
ブームが自然消滅しないちうことはカレーは 
ほぼの方が慣れ親しんだ家庭料理の一品
だったのかな~と思います(*´▽`*)

さて、先日のセッション”裏表の配列”の振り返りを少し、、、

まず”配列”とは自分だけのルール(決め事)。
自分ルールではありますがAC度が強い人ほどこのルールを
相手にも要求し強制度が強く出る気がします。

この配列は二つの配列が混在していて表と裏という表現として
表の配列は意識でき分かりやすく、見える配列。
裏の配列は無意識で分かりにくく、見えない配列になります。

以前、あなここで流行っていた
”没頭(表)と陶酔(裏)”も、少し似た感じも
あるような感じもあります。

表の配列を強く出すほど
裏の配列を無意識にする力や強化され
強化するほど気持ちを麻痺させてしまうのではないかとおもいます。
気持ちを麻痺させるということは
感情に”ウソ”をついたり”スルー”してしまうので
後に我慢となってしまいます。

表の配列は行為、行動、言葉、態度、etc
裏の配列は、根底にある気持ちや感情と私は捉えています。

裏の配列を逃す為に表の配列ですり替え
満たない(分かってもらえない)自分の気持ちを我慢し
自虐や他虐、空虚感になることで
感情を感じないようにする
気持ちの流れが個々にタイプ別であるのかと思います。

私の裏表の配列の流れを例にあげると、

      表の配列=旦那や子供たちのお世話や気配り気遣いを
      過剰に尽くすことで 
                 ↓                                                             私はやってもらえなかった!という嫉妬
       私もそうしてもらいたかった・・・という願望などの
        気持ちを逃し空虚感で麻痺させ我慢する。
                  ↓                                                         裏の配列=本当の感情”寂しい”が言えずに薄くなる。
                             (気配を消す)

この流れを最初の段階で(表の配列)意識できていれば、
裏の配列=無意識→意識化でき空虚感も薄くなることも
回避できバランスが取れていくのか感じます。



                                              
                     






















【2014/08/18 12:22】 | セッション振り返り
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こんにちは、あなここインターン、ちえです。
私の分析、感想も入っています。

不快キーワードは、不快キーワードをわかっている人に、きいてもらって、自分で壊していく。
 
 私の過去回想です。
 私は舌打ちが不快でした。
 責められたと感じていたのとほぼ同時に、
 私なら、それくらいは責めずに我慢するのに、
 と思っていたので、舌打ちする人に怒っていました。
 舌打ちにどんな意味があったのかは、舌打ちした人に聞いてみないとわかりません。
 舌打ちする自由は、誰にでもあります。
 舌打ちする人を好きになる必要はないですが、
 舌打ちで全員が不快になるかというと、それもわからず、
 私が不快に反応したということは、確かです。


自分のできないところ(自力の無さ)に目が行って、不快を感じる。
不快を不快と感じることが大切です。

配列を崩すのは、方法論ではないのですが、
方法論でないということを説明する方法論が必要で、
それが「我が子が不登校になった日」に書かれています。

表の配列を崩すと裏の配列が強化されることがあります。
表はわかりやすい配列。
 
 私の表の配列は、冷蔵庫の区分けがありました。
 配列を崩すと、自由になりますが、
 我慢したい気持ちが湧いてきました。
 我慢を手放したくない感じです。


喉元過ぎれば熱さを忘れる。
人からしてもらったこと、を忘れて、
人に酷いことをしてきたことも忘れていく。

 感覚を忘れないためには、人に話していくことが必要なのだと思います。


一本が不快の柱で、10本集まって嫌悪する感覚になり、
その奥には恐怖があり、100本の柱が必要となります。
一本の柱は、例えば、ママ友とケンカ。
私たちは、不快を快にするために、正当化しています。


性欲は、本能なので、誰にでもあるものです。

 とは言っても、性欲の話しは、恥ずかしいです。

【2014/08/13 17:28】 | セッション振り返り
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